Gentle-Kのブログ

本音で語りましょうぞ!

「しつこい」って本当に悪いこと?

こんにちは!Gentleです。
いや~、随分と更新期間が空きましたねー。空きました。空いてしまいましたとも。
少しずつでも今後は、アップできるようにしようと考えていますので、どうぞよろしく!😉


さてさて、本日のお題は「しつこい」について。


どうです?皆さん。
しつこいって、あまり良いイメージなくないですか?なくなくないですか?
えぇ、えぇ、そうでしょう。そうでしょう。
そうなんですよ、やっぱりイメージ悪いですよね。


もしですよ、もしかしてだけど、
好きな人から「しつこいっ!うっとおしいっ!」って言われた日にゃ…そりゃもう、へこみますわな。ペッシャンコのペッコリンですわな。
「あ~、しもたぁ~!しもてしもた~!」って、なりますよね。
(もしかして、ストーカーみたいって思われたかもしれないぞ…イヤイヤイヤ、やめてくださいよ~。ストーカーじゃないっすよ!)
って、叫びたくなりますよね。


でもですね、この「しつこさ」って、とっても大切なんですよね、実は。
なぜなら、物事が上手くいくコツがあるとするならばだよ?それこそが、「しつこさ」だから。



よく考えてみて?
今、こうして皆さんが普通に言葉を話したり、二足歩行したり、お箸を使って食事したり、文字の読み書きができたり、好きな人と話せる関係性ができたのも、全部「しつこく繰り返したから」じゃないですか?


例えば、「オンギャーッ!」って、この世に生を受けた瞬間から突然「I'm perfect human!」って言葉を喋ったら、コワいよね?
(そりゃ、たしかにパーフェクトヒューマンだけどさ…)



当り前だけど、言葉にしても、二足歩行にしても、お箸の使い方にしても、何だって全ては失敗しても「もう一回。もう一回」って、しつこくしつこく、繰り返して来たからこそ身についたものだよね。


そうなのよ、そうなのさ。
だからさ、しつこいってことは決して悪いことではなく、むしろ絶対に必要なものであり、時に他人に嫌がられることや呆れられることがあっても、それは必要悪なんだよね。


で、こうやってう言うとさ、「しつこいことが良いか悪いかなんて、時と場合によるものさ」って、バッサリ切り捨てちゃう人も多いと思うんですよね。
わかるよ。わかるんだけどさ、何でもかんでもこう、バッサリ切ってしまうのではなく、今回はチョット考えてみようよ、ね?



では、ここで問題となるのは、「しつこいことが悪い、嫌だ、鬱陶しいとなるのはどういうときか?」

→人や物に対して働きかけるが、何度やっても上手くいかないとき。


例えば、

①断っても断っても、電話してくる営業マン。
→マジで、やめて…。営業マンもお仕事だから、悪気ないのはわかっているんだけどさ。ゴメンね。


②気持ちは嬉しいけれど、期待には応えられないと伝えても何度も告白してくる人。
→断られる方も辛いけれど、断る方もやっぱり辛いもの。相手の気持ちが本物であればあるほど、傷つけてしまうことに申し訳ない気持ちになる。


③何とか解こうと公式なんかをこねくり回すも、さっぱり解けない数学の問題。
→数学ができる人って、すんげーなー。数学得意って聞くと、それだけで頭良いんだろうなって思っちゃう。


でもさ、これって全部、「今やっている方法やタイミングが悪かっただけで、方法を変えたり、タイミングを変えることで、意外にすんなり上手くいく」って経験、あるあるじゃないですか?



そうなんです、そうなんですよ。
つまりね、上手くいかないときに「同じ時に、同じ視点で、同じ方法」ばかり繰り返しているから、上手くいかないわけです。
そりゃ、当たり前だよね。でも、その当たり前が、その時には夢中だから必死だから、なかなか気付けないものなんですよね。




さぁ、結論が出たようです。
「しつこいことが良いか悪いかなんて、時と場合によるものさ」と言わず、よくここまで読んでくれました。


結論、

  • 同じ方法にこだわりながら、結果を求めること=良くないしつこさ
  • 方法を変えながら、結果を求めること=良いしつこさ

なんですよね。



ちなみに、上記の例で考えてみましょうか。

①なら、電話するタイミングを変えたり、セールストークを変えたり、電話を掛ける相手を変えたら、良い結果に繋がるかもしれない。

②なら、告白タイミングを変えたり、もう少しお互いの内面を分かり合う環境を作ることで、良い結果に繋がるかもしれない。

③なら、用いる公式を変えたり、参考書や自分以外の人の頭を借りてみれば、良い結果に繋がるかもしれない。


こう考えると、「しつこい」ことが悪いのでなく、「方法にこだわりすぎるのが良くない」ことだな、っていうのがよくわかるよね。



そして何より、大切なことは「物事の表面だけを捉えて分かったつもりになるなっ!てやんでぇーいということ。


もし、(しつこいことが良いか悪いかなんて、時と場合によるものさ)とバッサリ切り捨ててしまっていたなら、きっと、「しつこいことの何が良くて、何がいけないのか」に気付けぬまま、上手くいかないときにも同じ方法にこだわり、負のループで悶々としていたかもしれない。




ふと、今日はそんなことを考えてみた一日でした。


これを読んでくれたアナタに、小さな学びがありますように。
さぁ、前進あるのみ!


あなたの目は、ガラス玉なのですか?

こんにちは、Gentle-Kです。


ひょっとしてアナタ…物事見ているつもりだけど、実際には見えていないのではないですか?


例え話をお1つ。

・恋愛してもいつもストレスにまみれている人。

・結局、別れるんだけど、またすぐ恋愛に走る。

・いつまで経っても、新しい人とどれだけ恋愛しても、自分の心の隙間は埋まらない。

・そうして、時間と労力だけを重ねていく日々。

・振り返れば、自分の後ろには、物事を中途半端にかじってはやめ、かじってはやめをしてきた、掃き溜めしか残っていない。

・「あー、自分の人生、こんなはずじゃない」と、まだ見ぬ理想の人を求めて心彷徨う。




これって、あるあるじゃないですか?
試しに、自分に訊いてみてください。

「なぜ、自分は恋人を求めるんだろう?」
「自分は、今の相手のどこを好きなんだろう?本当に好きなのかな?」
って。



でね、これは恋愛においてだけでは無いんっすよ。
仕事だって、スポーツだって、人間関係だって同じこと。


普遍的な問題なんですよ。



例え話読んで、「自分は関係ないし」と笑ってた人、嘲笑していた人。
これに気がつかなったのなら、アナタも同類です。


「物事を見ているようで、見えていない」


というのは、そういう意味です。
物事は、一見バラバラに見えるけど、実は繋がっていることが多いのです。


例え話であげた人は、
「自分が何を得たくて恋愛するのか」
「本当に恋愛行為が、自分の心を満たしてくれるのか」ということを考えていなかったために、心の隙間が埋まるはずもなく、ストレスばかり溜めることになったのです。


でも、仕事やスポーツ、人間関係も同じです。

その仕事、何のためにやっているのですか?
何となくではないのですか?
本当にする必要ありますか?

スポーツの試合で負けたのは、
相手が強かったからだけですか?
練習のときから、実戦を想定していましたか?

人間関係に悩んでいるのは、本当に悩むほどのことですか?
周りの人は、本当にアナタのことをそれほど気にしているのでしょうか?
それほどの有名人なのですか?



スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式講演で言いました。

「connecting the dots」と。



Gentle-Kは、思うのです。
dotsをdotの集まり(dots)で終わらせるのか、
それとも、dotsをconnectしていくのか。


所詮、日常生活は、dotの集まりでしかありません。

そう、アナタが今日1日の中で感じた、楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹たったこと、悔しかったこと、恥ずかしかったこと全部。


でも、ジョブズならそのdotsを、思わぬ形でconnectするでしょう。


それは、ジョブズだからできることではありません。
誰にでもできることです。
dotsをconnectしたいと願うのなら。


そして、その想いと行動がアナタのお悩みを、
心の隙間を、
いつの日か解決に導くでしょう。


頭でわかっていることと、
実際にできることとは、似て非なるもの。



上記の内容に、少しでも理解できる部分あったのなら、やってみましょう。




本日も小さな一歩を踏み出す勇気を!

田舎暮らしに憧れたりする?

こんばんは、Gentleです。

本日は、田舎暮らしについて。


私は、本格的な「ザ・田舎」には住んだことありません。
だからなのか、どこか田舎というか、のどかな田園風景やのんびりした空気感ある土地に旅行で訪れると、イイなぁーと思ってしまいます😌

特に、「年取ったらこういう土地に移住しても良いなぁー」とか、「自然豊かでほっこりするなぁー」と。


で、こないだ偶然にザ・田舎に住んでおられる人と話す機会があったんです。
で、その人は言いました。
「田舎で暮らすには、覚悟が必要だ」と。

エッ!なんでなんでなんで?なんでなのさ?😕
もう、私の頭の中は❓マークが走りまくりましたよ。


その人は、元々は都会に住んでいて、結婚と同時に田舎に移住したそう。
もちろん、田舎に住むことも嫌ではなかったからこそ、結婚した部分もあった。
でも、最初はなかなか大変だったそうで…

何が大変かというと、人間関係!

マジかよ!都会での人間関係に疲れ果てた人が、大体田舎に移住しようと思うものじゃないのか?
都会の人間の冷たさやコンクリートジャングルに疲れて。


ところが、全くの大違い。
田舎は基本保守的だから、まずよそ者に対する警戒心か強い。
さらに、田舎って、いくらネットが発達したとはいえ、まだまだ便利悪い。
コンビニやスーパーも少なく、病院だって大した治療はできない。

となると、結果、ナンダカンタみんなで協力していくしかない。
例えば、冬なら雪かき。1人で全部やるとなると大変。
だからこそ、近所で協力し合う。
歳を取って、遠出ができなくなると、車で病院まで連れて行ってもらったりも必要になる。

そうやって、みんなで協力するとなると当然人間関係が大切になるというわけさ。


いやー、大変ですよね〜。
でも、よく考えたら当たり前。

田舎が田舎である所以は、自然や古き良き時代の風景やしきたりを守るために、新しい文明や便利なものを受け入れるのを拒んできたから。
もちろん、市町村が企業を誘致できないというのもあるけれど。


でもさ、今や都会で生き疲れて人生を棒に振る人も多いわけでしょ?
都会の人間からすれば、田舎ならと希望を胸に移住を考えるのに、これでは都会でやっていけないなら、田舎ではもっとやっていけないということになる。

じゃあ、都会でやっていけない人は生き場が無いよね…
なんだか、この話を聴いていると、光の裏の影を垣間見た気がして、ちょっと怖くなりました😝


どこに行こうが、どんな行き方しようが、しっかり自分を持って生きないとと感じさせられたなぁ。


最後に、私の好きな言葉の1つで締めくくろう。

強くなれ。強く、生きろ!

免疫力に自信あり?!

おはようございます、Gentleです。

コロナ絡みのお話ばかりですが…
皆さま、免疫力に自信はお有りでございますか?

免疫力。すなわち、身体が病気に負けない力がどれくらいあるのか、
これって実はすごく大切なんでございます。


で、コロナとどう結びつくのかですが、コロナウイルスが体内に入ろうが、
免疫力がバキバキに強ければ感染なんてしないわけです。

いいですか?もう一度、言います😝
免疫力があれば、コロナウイルスは恐るるに足らず。

だから、コロナで重症化する人は、基礎疾患がある人やお年寄りが多いというデータがあります。

逆に、若い人や健康体の人は、症状すら出ない。


ということは、

マスクだ!
金銭の受け渡しはトレーを使え!
外に出るな!
三密禁止!

と躍起になる前に、まずは体調を整えろっ!
ということです🧐


事が起きてから対策をアレコレ考えるよりも、
事が起きないように、起きても大丈夫なように予防しておく、
布石を打つことが大切だというお話でした

ではでは!

そのトレー必要なのかい?!

こんばんは、Gentleです。

今回は、代金支払いのときにトレーを使う必要性について。


どうですか?あれって、不便じゃないですか?
コロナの影響を考えてのことだっていうのは、理解できるんですよ。

でもね、ホントにコロナの影響考えてと言うならば、
そのトレー、毎回消毒必要ですよ?😣

なぜなら、お金なんて人の手垢がつきまくった、元々汚いものですから。
それをトレーに乗っけていたら、当然、トレーも汚いでしょ?
むしろ、今は皆さん手を洗ったり、消毒しているんだから、直接手を介した受け渡しの方が清潔なはず😋

さらに言えば、人が商品を物色したらイチイチ消毒しないといけないし、買い物カゴだって同じ。

でも、そんなこと現実的に無理じゃん?
なのにさ、なぜ訳もわからず、お金の受け渡しだけはトレーなのさ?


つまりね、物事の表面的なことしか見てないんですよ。
「やらないよりかはやったほうが良い」というのは、賛成です。

でも、それならどんな狙いがあって、どんな仮説の下にやるのか。
そして、やった後に検証しないと。
やった結果、効果あったのか、と。


今更、トレーでの受け渡しを無くせとは言わないけれど、
この具体例(失敗例)からは学んでいくべきだと思います🧐

コロナを無用に恐れ過ぎていないかい?!

おはようございます、gentleです。

今朝もニュースで、コロナandコロナandコロナ…
どんだけコロナなんでしょうかね。


でもね、よーく考えてくださいよ。

・感染者増えた
→検査を受ける人間増えたら、それゃ必然的に増えますわな。


・○名が亡くなった
→そりゃ、病死する方はコロナ以外でも毎日いまっせ。


・感染者が本日で○名になった
→その数字を発表して、どうしたいの?
マスクもして、不要不急の外出もして、飲食店は休業して、やれることは、ほぼやってますやん。


そして何より、「コロナが理由で亡くなった方の事情」を考慮していないことが、最大の問題なのです。

つまり、コロナで亡くなった方は、既に身体に不調をきたしていたために、コロナの影響を強く受け、
不幸にも亡くなられたわけです。


ですが、これがコロナではなく、カゼでもインフルエンザでも、その他の病気でも同じ結果になるわけさ。


そもそも、ニュースにならないけれど、インフルエンザで日本だけでもひとしれず、毎年数千人から数万人が亡くなっているという現実があります。

でも、それはニュースにならない。
インフルエンザなんて、毎年冬には出てくるものだから。
人々にとって当たり前なポピュラーな病気だから。

さらに、コロナに感染していると診断されたひとの中で、若い人は特にそうだけど、無症状が多く、
かつ発症しても数日で回復しているわけです。


つまり、これってカゼやインフルエンザと同じじゃない?
インフルエンザが蔓延すれば、学生なら学級閉鎖になったりしますよね?


これらのことから、なぜコロナだけ、これほどまでに恐れるのか?
単に、メディアが大々的に報道しているからでしょ?

だから、コロナを必要以上に恐れず、正しく恐れることが重要。
そして、何にでも言えることだけど、無闇に不安にならず、現実をしっかり見て、考えて、分析して、適切な判断や決断をすること。


そうすれば、コロナなんて恐れるに足らず😎